土と風と彷徨

回転するこの星のあらゆるものと遭遇し、ココロとカラダで感じたその様々を書き綴る

ボウズ、ボブマーリー、ジャージ、サンダル

滋賀に行こうと思った10日ぐらい前、ノートをペラペラめくっていると覚えのある名前が飛び込んできた。電話番号付きだった。さっそく電話すると元気そうな声で「中野でライブするから是非来てよ」と言ってくれた。バンドが再稼働したらしい、行こうと思った。

彼とは去年の夏、東京の吉祥寺、井の頭公園で会った。声をかけてくれた相手はすでに酔っぱらっていて、ワンカップのお酒を片手に持っていたっけ?公園で暫く吞んでそれから、いせやで焼き鳥とビールをご馳走してくれた。彼の人生は、転んで、転んで、起き上がってまた転んで…を繰り返していた。僕と会ったときはもう一度立ち上がろうとしている時だった。「また、君に会いたいよ」って言葉がずっと印象に残ってた 。

中央線、中野駅から南に歩いていってすぐ見つけた。ライブハウス、MOONSTEP。カウンターのにーちゃんに「友達が出るはずなんだけど…」って言ったら、「俺だよ。俺!」ってすぐ隣に居た。アクトのアーティスト達の中でも素朴な格好、上からボウズ、ボブマーリーがプリントされたTシャツ、アディダスのジャージ 、サンダル、良い意味での脱力を感じた。THE TURKEESってバンド、最後の曲、キヨシローの「イマジン」が良かった。ジャンべを叩く彼は、どのアクト達よりもカッコよかった。演奏が終わった後、ビールを飲みながら「中学の頃、商業ロックに金の匂いがして嫌だった」って言葉が嬉しかった。初めて会った時よりもずっとずっと、晴れた良い顔をしていた。出会う人、出会う人、どこかに共感できるからとても不思議だ。

ダイスケさん、ありがとう!良い人生を

バイバイ、ピカピカの東京

先月、茨城の芋畑からヒッチハイクで東京に帰る途中、千葉の柏あたりから都会の雰囲気が漂い始め車が捕まらなくなった。路上で腕を伸ばしつつ、頭の中は不安でポジティブなイメージがどんどん萎んでいくように思えた。帰らないほうが良かったかな?と後悔を引きずりながら夜中の道を夢中で歩き続けた東京の友達に会うために、そして日暮里のゲストハウスに帰ってきた。

去年、家に帰るために東京の青山通りでヒッチハイクしていたとき、出会った絵描きさん、古本屋店主と再開し、飲んだ。笑った。元気をくれた。ゲストハウスでも新しく良い出会いがあった。みんなが「君のこれから、楽しみにしてる」と言ってくれる嬉しい気持ちになる。いつでもたくさんの出会いに恵まれ、不思議な繋がりが生まれ良い方に導かれる様に人生が進んで行く、感謝でいっぱい。

それでも都会に浸り、飛び込んでくる情報量がいっぱいで街も人もピカピカで気持ちが苦しい。睡眠のリズムも狂ってきて元気がどこかに離れて行ってしまった。長くは居られないんだ。上野公園で歩く人を見て思う、本当に痛いところは誰にも言わない、みんなは傷だらけなんだ。自分もだからそう思うのかな?人間が深いところから癒されることを祈る。

バイバイ東京、みんな遊んでくれてありがとう。

癒しへの教えを授かりに滋賀へ、パワーをきっとくれる!

朝の音

夜が明けるとともにたくさんの朝の音が聞こえてくる。

蓮の花は夜明けに咲き、お昼に蕾むのだと、花が開く時に「ポンッ」と音が鳴るらしい、という話を聞いた。昨日の明け方、ゲストハウスの友達と蓮の朝の音を聞きに行こうと上野公園の蓮池まで散歩した。蝉の亡骸、ビール、猫、雀、サギ、カエル、アメンボ、たくさん出会って色々なことを教えてくれた。 彼らは色々と話をしていそうだけど、僕には「声」は聞こえなかった。人間がみんなネイティブだった頃はきっと聞こえていたはず。

僕の隣を歩いてくれた友達は、同じ景色を歩いているのに僕が発見できなかったものを見つけていた。蝉の抜け殻、猫、トンボ、樹木、見逃してばかりいることに気づいた。 文明の隙間にいきもの達が隠れているのを見つけて嬉しかった。朝はやっぱり素敵な時で、蓮はやっぱり綺麗だった。寝坊して「ポンッ」は聞けなかったのだけど…

いつも、ここではないどこかを探してる

子供の頃から不思議に思うことがたくさんあった。自分は誰なんだろう?何で生きるのだろう?もっと、もっと大事なことが他のところにあるんじゃないかと思っていた。

学校の登下校、みちくさが好きでよく遅刻した。タンポポを眺めていたり、雪に体の跡をつけて歩いてそれが家から学校まで続いていたりした。いつもボンヤリとしていてただ時間を垂れ流しにしてしまう、歩いていても商店街や駅の改札で誰かととぶつかりそうになる。ときどきぶつかる。買い物をしてもおつりや買った野菜を良く忘れるし、どういうわけか?人と誰かと呼吸やリズムが合わない。

授業で、興味のあることについて聞かれたとき「人間です。」と答えたらお前は変態だとクラスメイトに笑われた。たぶん今もそう答える。臨時の事務員をしていた時、「君は、ただの良い人間ってだけじゃあだめ、周りの人を蹴落としてでも上を、上を目指せ」と言われたけれど、人に蹴りを入れることなんて出来ないと思った。お金とか役職は要らないから、たくさんの人と喜びを共感したい、甘い考えかもしれないけど他に何も要らない、世界と自分との間に隔たりを感じてその仕事の任期が終わった次の日、家を背負って沖縄に飛んでいった。

いつも、ここではないと感じてる違和感を感じている。生きること、いつかは死ぬこと神秘的で摩訶不思議

光、呼吸、東京

芋畑から東京に来て、あてもなくぶらぶら歩き回ってチープなカメラで思うまま東京を写した。渋谷の交差点、ヒマラヤ杉、ベーグル屋、鬼子母神、水タバコ屋、蓮

チープカメラにフィルムを入れて、ギリギリと送って、カチッとシャッターを切る緊張感とワクワク、デジタルには写らない空気が写る気がする。プラレンズの淡い光、強い発色、いい加減で不思議な写りでうっかりすると指が写る。デジタルのはわずらわしいことががたくさんあって、キレイ過ぎな写りでちょっと嘘みたい

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東京はエネルギーの塊でピカピカで、溢れるものがたくさんあってクレイジーで綺麗な街、大好き

世界はスバラシイに溢れている

すべてがスバラシイと感じるような瞬間。

沖縄、バス停で迎えた初めての朝、生まれ変わったように太陽の光を浴びた。熊本、国道3号線のどこまでも続いていきそうな長い長い道。大飯原発前のデモ、呼び続けた「再稼動反対」のコールと鳴り続けたジャンべやフロアタムが響く中、まったく知らない不思議な人々との不思議な一体感。人魚姫がいる伝説のあるメコン川岸、ひとりで砂浜をぐるぐる回った。

どの瞬間でも空気の一つ一つが粒の形をして、クラブのミラーボールの様に太陽の光を受けて輝いていて、世界がキラキラしている喜びに溢れているそんな時、きっと脳味噌はブッ飛んでいるのだと思う。ある意味トリップで気持ち良い。沖縄の朝で感じたことは谷川俊太郎の本の帯にも同じようなことが書かれていてビビッときた。

旅を始める前は、そんな生きた感覚を感じたことが無かった。それでも目を見開いて、心をオープンにその瞬間を捉えることが少し出来るようになった。

今、この瞬間は世界はスバラシイに溢れているはずだ、しかし、テレビやインターネット、リアルじゃない快楽がたくさん溢れている。

今日も、おにぎりを握る

好きなゴハンはおにぎり、わかめのやつが特に

 旅の途中でお昼にと、泊めてくれた人達がよくおにぎりを握ってくれたからかもしれない、食べながら泣いてしまった事もある。そんなおにぎりには心が宿っている、ふっくら、しっかり、大きい、しょっぱい、握る人も色々だけど、おにぎりも色々

最近、おにぎりを握りはじめた。最初は丸い形で、今は正三角の形、身の回りを綺麗にすることも良いけれど、体の内側からまっしろになりたくて玄米を炊く、玄米おにぎりを握る、あげる人はいないから自分のためにじぶんで、玄米だから良く噛む、ひたすら良く噛む

そして、うんこどっさり