土と風と彷徨

回転するこの星のあらゆるものと遭遇し、ココロとカラダで感じたその様々を書き綴る

チベット、宇宙、すべては幻影

5月に東京、護国寺でチベット人のお坊様のお話を聞いた。インドから来た彼の話は、「生きる」ことのベーシックな部分には少なくとも苦しみがあり、全ての生命に共通する痛みである。だから祈るときには、自分も含めた全ての生命のために祈りなさいと言った。

“歌い、踊り、陽気になってジブンを解放する祭り”に行くため、東京から鈍行列車に乗り継いで滋賀、大津市の外れにある小さな駅に着いた。朽木という山の奥地を目指し路上で親指を立てる。道路の温度計は38℃と表示していた。熱いし汗が止まらない、けれどあまり時間が経たないうちに男が乗った軽トラが止まる。町から離れ、山を越え、集落を越えまた山を越え…ここで合ってるかな?と心配になりそうな曲がりくねる道が続く、途中までしか行かないけど、なんて言っていたが、祭りのある集落まで男は車で乗せてくれた。この集落の上流には民家は無く、限界集落の限界と言える。魔物が出そうな深い森、谷を流れる川、チベットのような景色を感じた。夜は闇が深くて、森を見るともっと黒が深くて、空には星が奇麗に光っていて、月が浮かんでいて、ここは宇宙だよ。宇宙チベット

時間には誰も逆らえない、遅刻は重罪だと幼い頃から刷り込まれてきた。人間は時間という重苦しいシステムに操られていて、そこに生きずらさがあって、アタマが全てで、カラダの自由や快感が奪われている。過去や未来にとらわれず今という瞬間を楽しめ、と最近読んだ本の内容はこんな感じだった。疑問が湧いたから「人間の本番はいつだろう?」と祭りで会った男に尋ねた。「マーヤー」とその人は答えた。“マーヤー”はサンスクリット語で“幻影”見えるものすべては幻影であり、人間は等しくそのマーヤの中に生きているという、インド哲学の言葉。

ある日、森からチョロチョロ出る湧き水をポリタンクで汲みにいって、水が一杯になるまでの間、森の方をボンヤリ眺めていると、声が聞こえた。「泣くな、笑え!」って、それはジブンの内側の声だったのかもしれない、でも一つに繋がった気がした。森が教えてくれた僕が解釈する今のところの生きることへの回答。泣くな、笑え!